ペルーでの普及活動から柔道を通じて日本と海外の懸け橋となる仕事へ! JICA海外協力隊から始まった「スポーツの仕事」

東京オリンピック・パラリンピックが目前に迫り、ますます注目を集めているスポーツ界。スポーツの仕事に携わりたいと考えている人は世の中に数多くいます。しかしスポーツ業界は狭き門といわれ、なかなかその職に就くことは難しくもあります。

柔道・講道館の研修員として、訪日外国人の対応や国際セミナーのコーディネート、子どもたちや一般成人初心者等への指導を行っている岩永さん。外国語を話せなかった彼が、どのような経緯で今の仕事に巡り合ったのでしょうか? そのきっかけは、海外で協力活動を行っている独立行政法人国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊への参加でした。

PROFILE

氏名:岩永憲門(いわなが・けんと)

年齢:26歳(1993年7月26日)

性別:男性

派遣国:ペルー

派遣時期/期間:平成28年度1次隊20167月〜20187月(2年)

使用言語:スペイン語

■フランスで訪れた講道館柔道の創始者ゆかりの地

―岩永さんがペルーでの2年間で、海外協力隊員として与えられた役割、ミッションは何ですか?

ざっくりとしたものですが、任地(派遣国の一地域)での巡回指導、指導者の育成、柔道の普及活動です。

―青年海外協力隊へ参加しようと思ったきっかけは何ですか?

フランスでの海外柔道研修と卒論調査です。もともと大学(鹿屋体育大学)は教員志望で進学し、教員免許取得と柔道を専門に行っていました。漠然とですが、海外志向はありました。在学中に約2週間ほど海外に行くチャンスがあり、柔道研修として大学の恩師である濱田初幸先生と2人でフランスへ渡りました。研修では柔道クラブで濱田先生が行う技術指導のアシスタントや、ジュニアナショナルチームでの稽古、卒業論文作成のための指導者資格制度の調査およびフランス人柔道家へのアンケート調査を行いました。日本とフランスの柔道を比較することから日本柔道の普及・発展のための課題を考察しました。

このフランスでの経験が私にとって一番大きかったですね。それが今につながっています。研修の話が出たときは、フランス語が話せない、英語も話せない状態でしたが、それでも私は海外へ行きたいと強く思いました。なのでアルバイトで必死にお金を貯めてこのチャンスを逃さないように頑張りました。フランスへ行った際、観光で訪れた港があり、そこは講道館柔道の創始者である嘉納治五郎師範が柔道普及のために初めて訪れたヨーロッパの地・マルセイユでした。そして今自分がいる港が、当時師範が日本から到着した場所だったと知り感動しました。

また、フランスのホームステイ先では、フランス語はしゃべれませんでしたが、家族の方から非常に親切にしていただき仲良くなれました。時間を頂き講習会を開いてつたない英語で柔道の指導を行いましたが、思うように伝えられませんでした。ところが最後に“ありがとう”と言ってもらえたんです。選手としてまったく実績のないこんな自分でも人に喜んでもらえた。このことが自分の中で大きな爆発が起こり、「海外×柔道」にとても興味を持つようになりました。

その後も、国内で鹿屋体育大学国際スポーツアカデミー(NIFISA)といって、2020年東京五輪に向けた国際貢献事業SFT(スポーツ・フォー・トゥモロー)における国際スポーツ人材育成拠点の構築というプログラムに参加し、アジア諸国のさまざまなスポーツ分野の指導者や研究者を対象とした柔道体験のセミナーで柔道指導を行いました。そこでもつたない英語とジェスチャーでしかコミュニケーションができませんでしたが、言葉や文化などの壁を越え、柔道をツールとした国際交流から人と人とのつながりが生まれることを実感しました。

大学4年生になって教員採用試験のための勉強中でも“また海外へ行きたい”という想いが強くなっていました。そこで大学の先生に相談したところ、JICAのことを教えていただきました。そしてJICAについて調べたところ、青年海外協力隊に柔道隊員というものがあることがわかりました。ちょうど調べた日の翌日に鹿児島県内でJICA海外協力隊の説明会が行われることを知り、すぐに申し込み参加しました。そして説明会で話を聞いて、即断で青年海外協力隊への参加を決意しました。

―それまではJICAの存在をまったく知らなかったんですね。

はい、柔道ばかりやっていましたので。今思うと柔道やっている中学生たちにJICAのことを知ってほしいです。高校生からでもいいですね。そういう想いもあって、青年海外協力隊で海外へ行っているときは可能な範囲でSNSで発信を行っていました。

■24日間もの研修期間で得られたもの

JICAのサポート体制について教えてください。

技術補完研修といって、隊員それぞれの職種特有の事前研修制度があります。柔道隊員の場合、相手国からの要請に的確に応えることができるよう、柔道の技能・知識等の向上のために24日間の研修を柔道の総本山である講道館で行います。この研修は、講道館が実施している講道館国際柔道セミナーと同時開催され、ほぼ同じ内容のプログラムを受講します。

講道館国際柔道セミナーの目的は、将来指導的立場に立つことが期待されている若手指導者に正しい講道館柔道の理論と技術を教育し、必要な素養をそなえた資質の高い指導者を養成して、各国の指導を充実させ、世界における講道館柔道の健全な発展を図ることです。

JICAの技術補完研修を受ける青年海外協力隊員の候補者たちは、国際セミナーに参加する世界各国の柔道指導者たちと国境や言葉の壁を越えて交流をします。この24日間の研修では、日本で生まれた歴史・伝統のある柔道及びその指導法を講道館で学びながら、海外派遣前に世界各国の人・言葉・習慣などの異文化に触れることができます。私も含め、この研修を受けた多くの青年海外協力隊員の候補者たちは英語やその他の言語が話せなくても、セミナー参加者との交流の中で他文化への耐性をつけることができると思います。

そして何より、「柔道という共通の言語」を使いながらお互いのことを理解し、お互いに助け合うことで、柔道において大切な自他共栄の精神を学ぶことができます。候補者たちにとって、この研修での経験は任国の活動に必ず生かされると思います。

―この研修はかなり良いプログラムですね。行く前に日本にいながら海外にいるような経験ができますね。

実際現地に行くと、まだ全然しゃべれないんですよね。でもどうにかして自分の気持ちを伝えよう、相手の言っていることを理解しようという試行錯誤を無意識のうちにしていますよね。ジェスチャーや表情で表すとか意思を伝えるためにトライしますよね。それをこの研修で予行演習のようなものができるんですよ。

■言葉の壁はそれほど大きくなかった

―派遣先のペルーですが、第1希望だったのですか?

いえ、ペルーは第2希望でした。第1希望はベリーズでした。ベリーズを希望した理由は公用語が英語でスペイン語も話されているので英語、スペイン語とも覚えることができると考えたからです。また、ペルーなど日本人が多く訪れる国に海外協力隊に行くよりは日本人があまり知らない国に行こうと思いました。でも結果的にペルーで良かったと思っています。

―参加する前と参加している最中、参加後に感じた言葉の壁など、問題意識に対する考え方は変わりましたか?

参加前まで、スペイン語に触れた経験はありませんでした。私にとっては未知の世界だったので不安はなかったというと嘘にはなりますが、漠然と、現地に2年間住んでスペイン語を話せるようになる自分をイメージすると、早く覚えたい、話せるようになりたいという好奇心でいっぱいでした。

参加中は、技術補完研修をはじめ、実際にペルーで過ごした2年間では数えきれないほど、自分の気持ちを表現できないことがありました。相手の発言が理解できておらず、物事をうまく進められないこともありました。精神的に疲れることもありましたが、そんな時は、柔道でお互いの理解を深め、意思疎通を取ろうというふうに考えることで対応していました。また、日常で使う言葉は勉強してインプットするだけでなく、覚えたり新しく聞いた言葉はなるべく早い段階でアウトプットしていくうちに少しずつ覚えていきました。とにかく、常にプラスに考えようとしていました。

参加後に2年間の活動を終えて振り返ってみると、参加前に比べて言葉の壁はそう大きくはないと感じるようになりました。気持ちをどうやって伝えるか、それを自分の知っている少ない単語の中から絞り出して、そしてジェスチャーも使いながら、試行錯誤する。その時、相手も何を伝えようとしているか考えるはずです。あまり難しく考えずに、お互いがお互いを理解しようとすれば、何かが見えてきたり、伝えたかった答えにたどり着くと思います。これは、先に述べた自他共栄の精神につながると思います。しかし、これは考え方や気持ちの面での話です。実際には、その言語を自ら学び覚えていくことは不可欠です。地道に勉強する努力も大切です。

―苦労したことは何ですか?

最初のころは、日本人がまったくいない中で言葉が通じないことや、買い物がうまくできなかったり、タクシーに乗っても思ったところに着かないなど多くありました。しかし、その苦労が今では思い出になっています。柔道の中でいえば、それは皆さんが経験してきた部活での遠征や合宿が卒業して良い思い出になる。それと少しステージが違うだけでやっていることは同じです。難しそうと考えるより、楽しそうと思ってほしいです。

―帰国後の就職活動は⼤変でしたか?

当時、青年海外協力隊の任期延長を考えていました。2年間という時間は当時の私にとってはとても短く、ペルーに残って生徒たちやペルー柔道のためにもっと頑張りたいという気持ちが強かったです。しかし、延長申請をした後、偶然にも現在の上司から研修員のお話を頂き、またJICAが任期延長を承認できないとのことであったため、講道館の研修員として勤めることになりました。何事もチャンスをつかむためには、結果がすぐに見えてこなくても、今という時間の中でやるべきこと、やりたいことに精いっぱい取り組み、日々努力することが必要だと学びました。そしてタイミングや決断力、ご縁も大切だと感じています。

■ペルーでの経験が今の仕事に役立っている

―今現在のお仕事を教えてください。

現在は、公益財団法人講道館にて研修員として勤めています。メインは海外からの来訪者の対応です。毎日のように海外から講道館に訪れます。講道館は、日本発祥の武道である柔道の総本山で海外から来た人たちにもリスペクトされています。講道館では、道場での指導や稽古への参加、通訳、なども必要に応じて行っています。上記の技術補完研修や国際セミナーのコーディネートも務めています。実際に道場に上がって子どもたちや一般成人初心者等の指導も行っています。

―海外からの来訪者への説明は英語でしているのですか?

基本は英語です。スペイン語圏から来た人に対してはスペイン語を使っています。現在はちょっとずつですがポルトガル語にも挑戦しています。

―今のお仕事に役立っていることは何ですか?

大きく分けて3つほどあります。1つ目は現地で覚えたスペイン語は今でも非常に役に立っています。現在、職場でスペイン語を話せるのは私だけです。スペイン語圏からご来館される方も多いのでスペイン語を覚えてよかったと思っています。決して話すスペイン語のレベルが高いわけではありませんが、仕事上での意思疎通はできています。また、スペイン語よりも英語を使う機会の方が多いですが、英語はペルーから帰国して少しずつ覚えているところです。スペイン語を学んでからは、とりわけ特別な勉強をしたということはありませんが、派遣前よりも英語も話せるようになりました。

2つ目は、ペルーという異国の地で、現地の人たちのコミュニティに日本人が一人だけという協力隊ならではの環境で過ごしたことで、人間関係の大切さ、お互いがお互いのことを考えて助け合うことが、日常生活や物事の根底にあると実感しました。講道館には、毎日のように多くの人たちが世界のさまざまな国から柔道を学びに来ています。彼らが日本に来て感じる孤独感や言葉の壁、その他の問題は協力隊が任国に行って経験するものに似ているか、もしくは同じではないかと思います。稽古の中で、私は彼らとコミュニケーションを取りながら一緒に練習をしたり、指導をしたりしています。少しでも不安な気持ちを軽減して、講道館での稽古に取り組んでいただければと思い、努めています。

3つ目は2年間、任地の生徒たちと過ごした日々のおかげで、自身がすごく成長することができました。柔道には精力善用という根本原理があります。何事をするにも、その目的を達成するために精神の力と身体の力とを最も有効に働かせることです。目の見えない子どもたち、障害のある子どもたちが、たとえ投げる技術や抑え込む技術をうまく学べなかったとしても、「物事に精いっぱいに取り組む努力の過程が精力善用であり、柔道だ」と思うようになった。勝ち負け以上に大切なものもあると感じています。

■異なる環境だからこそ成長できた

―参加して良かったことは何ですか?

この約2年間で子どもたちの成長していく姿をたくさん見届けることができました。また、日本とは異なる環境下での活動や生活における試行錯誤から自身も成長できたと感じています。特に子どもたちには日々精神面で支えてもらっていました。そして、彼らからは、指導者として教えてきたこと以上にたくさんの学びを得させてもらいました。本当に言葉では表せないほど感謝しています。

異国、異文化での指導者としての活動は、言語だけでなく、指導法や生徒たちとの関わり方など、大変勉強になりました。また、視覚障害やダウン症、自閉症などの子どもたちにも柔道を教えることができ、とても貴重な経験ができました。そして、彼らと向き合えたことで「柔道の持つ多様な可能性」を感じています。大切なことは、情熱と愛情を持ち、全力で生徒一人ひとりと向き合うことだと学びました。柔道そしてボランティア活動を通して、家族のように大切だと思える人たちと出会えたことがこの2年間で得られた一番の財産だと感じています。

また、昨年の3月に講道館で行われた東京国際視覚障害者柔道選手権大会および国際合宿に、私がペルーで指導をしていた生徒が参加しました。期間中、通訳やサポートをさせていただき、講道館の稽古にも共に参加しました。大会は負けてしまいましたが、まだまだ発展途上であるペルーの、しかも視覚障害者柔道の選手が日本に来て、講道館の畳の上で柔道ができたことは、歴史的なことだと思います。当時、ペルーで生徒といつか日本で柔道をしたいと話をしていました。帰国後の私の夢の一つとしていつの日が実現したいと思っていたので、このような形で夢が実現できるとは思ってもいませんでした。柔道がつなげてくれた再会でした。

その後、ペルーで開催されたパラリンピック・パンアメリカンゲームズにて、ペルー柔道史上初、パラでのメダルを獲得しました。しかも、母国開催。本大会では、彼が唯一のペルー代表でした。銅メダルではありましたが本当に誇りに思います。結果を知ったときは、感動のあまり涙してしまいました。ペルーに行って良かったと心の底から思いました。2020東京パラリンピックへの可能性もゼロではないと思います。彼が東京パラリンピックに出場すれば間違いなくペルー柔道の歴史が動きます。彼のため、ペルー柔道のためにできる限りの支援、サポートができればと考えています。

―派遣国での隊員としての活動以外での思い出などはありますか?

任地からバスで数時間のところにビーチがあるのですが、初めて真夏の海で年末年始を過ごしたことですね。柔道でつながった現地の友人たちと一緒に行って皆で年越ししました。日本では味わえない経験でした。また、ペルー国内をいろいろと旅行しました。アマゾン先住民に会ったり、芋虫を食べたなど思い出はたくさんありましたね。

―これから参加する方々へのアドバイスをお願いします。

やりたいと思うことはやる。失敗を恐れず興味を持ってトライしたほうがいいです。そうすることで絶対気付くことがあります。柔道の中でいえば、競技として試合に勝てなくても柔道を通して得たものは誰でも伝えられると思うので、その経験を誰かのために伝えていってほしいと思います。柔道やっている人は全員行ってほしいですね。

スポーツの仕事をしたいと考えるにあたって、なかなか選択肢にあがってこないJICA海外協力隊。だが、見知らぬ土地でまったく新しいチャレンジに身を投じることは、その後、スポーツ界でキャリアを積むにしても、別の業界でキャリアを歩むにしても、大きな力を身に付けることができるだろう。

現在、JICAでは、3月30日まで2020年春募集を受付中だ。興味を持った方は、ぜひ一度、応募してみてはいかがだろうか?

【了】

取材=スポーツデータバンクコーチングサービス株式会社