ミズノでは2年間働いていました。ミズノ在籍時に野球を通して海外につながりたいと思っていました。2年目に、ルーマニアへ野球隊員として派遣された方が中途採用で入社され、自分の隣の部署に配属されてきました。その方とお話をしていくうちに野球のボランティアに行きたいという思いが強くなっていったのが大きなきっかけとなりました。ですがミズノの仕事を中途半端でやめることはしたくなかったので、自分で納得できるところまではミズノで頑張ろうと考えていました。そしてミズノでの大きな仕事が終わって自分なりの達成感を得たときに、次のステップに挑戦したいと思い、青年海外協力隊に応募しました。
青年海外協力隊の最終選考まで進んだ時点でミズノに退職の意向を伝えました。自分としては、新卒社員がたった2年間でやりたいことがあるから退職するというのは失礼なことで、会社側にはなかなか理解されないだろうと思っていました。しかし、上司や周りの方へ青年海外協力隊への応募のことを伝えると非常に応援していただきました。そのことは自分としても全く想像していませんでした。最終選考には落ちてしまうという結果になり、ミズノもそのまま退職することになりましたが、応援してくれた人のためにも、受かるまで頑張らなければと思うようになりました。
退職後は次回の選考に挑戦するまでアルバイト生活をしていましたが、多忙な日々で生活が乱れてしまっていました。そのような状況の中で東日本大震災が起こりました。その時に、こんな生活をしていたら前に進めないなと感じ、いったん地元の福島に戻ることを決意しました。海外に目を向けてばかりではなく、地に足をつけるためにも自分の地元をなんとかしたいと思い、南相馬市での1カ月のボランティアを経て、福島市役所の契約職員になり除染などを行っていました。
ただ、やはり青年海外協力隊に行きたいという思いもありました。海外へ行ったときのことを考えると、自分は子どもたちに野球の指導をした経験がありませんでした。野球の指導について学んでおく必要があると考えていたときにスポーツデータバンクさんの募集を見て、野球の指導を学ぶためにJBS(ジュニアバッティングスクール)のアルバイトを始め、中学校、小学校の野球指導をしていました。生活はとても忙しかったですが、ちょっとずつできることを始めていき4回目の応募で青年海外協力隊に合格できました。